Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:楊天乙 写真·郭実] Total 112 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
-
1. 孔子も教えを乞うた
新しく開通した北京―九竜(香港)鉄道に乗って北京から南下して亳州に出、バスに乗り換えて西へ二〇キロほど進むと老子の故郷、鹿邑に着く。前漢の有名な歴史学者司馬遷(前約一四五または前一三五~?年)は『史記』の中に「老子は楚の苦県厲郷曲仁里の人。姓は李、名は耳、字(あざな)を伯陽、または聃(たん)という。周の守蔵室史」と記している。この苦県は、二千五百年前に楚の国が陳の国を滅ぼしたときに楚の版図に入った
Author: 楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
-
2. 「五岳に仙を尋ねて遠きを辞せず」
旅立つ前に、リュックサックに荷物をつめながら地図を眺めていると、「五岳に仙を尋ねて遠きを辞せず、一生名山に入(い)って遊ぶを好(よし)とす」(「廬山謡盧侍御虚舟に寄す」)と詠んだ李白の詩句が、ふと脳裏に浮かんだ。幼いころから道教の影響を受けながら育った詩人李白は、一生道教と深い関係にあった。飲めば不老長寿になるという薬草の採集や煉丹に精を出したり、山奥に仙人の足跡を尋ねたりしただけでなく、唐の天宝
Author: 写真·郭実 文·楊天乙 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
-
3. 伝統の民俗が今も息づく 全真教の聖地北京·白雲観
老子の『道徳経』の「淳徳章」に、「千里の行も足下に始まる」という名句がある。わたしたちの道教文化の旅も、一番手近な北京の白雲観から始めることにしよう。白雲観の縁日―世俗の祝日白雲観は西便門の西一キロの所にある。都市開発の輪が広がる中で、いまや団地に取り囲まれる形になった白雲観だが、寺院の中はひんやりした静寂を感じる。時には自転車に乗って悠然と街を走る道士の姿が目につく。昔の儒生を思わせるゆったりし
Author: 写真·郭実 文·楊天乙 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
-
4. 絶対自由へのあこがれ荘子の生地·民権
前回は道教の始祖神に祭られる老子の生地を訪ねた。取材を終えて商丘方向に出、老子の足跡を追ってさらに西へと旅をつづけ、その手始めに昔から「老荘」と並び称される荘子の故郷·民権県で列車を下りた。民権県は河南省開封市の東約七五キロにある。巨大な荘子像の立つ民権の町荘子(前三六九~前二八六年)は名を周、字(あざな)を子休といい、宋の国の蒙邑(いまの商丘市に所属する民権県の北東)に生まれた。乱世に八十数年の
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 4 PDF HTML
-
5. 西に函谷関を出た老子―函谷関·楼観台
紀元前四七八年、ひとりの白髪老人が黒い牛に乗って鹿邑を後にし、西へ西へと旅をつづけていた。老子である。陳国が滅びた故郷の土では、今頃は楚の軍隊が威勢よく駆け回っていることだろう。老子は黙々として四方に危機を孕んだ中原の大地をくぐり抜けていった。まもなく諸侯が覇権を争う戦国時代の到来である。乱世を避けて、九十三歳の老人がさすらいの旅に出なければならないとは、時代の悲劇だと言ってよいだろう。しかし、ま
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 5 PDF HTML
-
6. 北の崆峒山に登る―天水、平涼、黄陵
暗闇の中で列車は大西北の荒野を疾走している。長い長い歴史のトンネルをくぐり抜けるような気がする。原始宗教の火種を尋ね、遠き古代における道教文化の面影を求めて陝西省から甘粛省へつづいた数百キロの旅路は、たいへんな苦労の連続だったが、新鮮な発見に満ちた勉学の旅でもあった。列車が天水に着いたころはすっかり夜が明けていた。どう見てもさえないこぢんまりした町だが、中国文化史に刻まれた重要な場所なのである。と
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 6 PDF HTML
-
7. 雨降る青羊宮―成都、都江堰
飛行機の下に広がる雲海に目をやると、道教の古代文献に出てくる神仙の定義が脳裏に浮かんだ。「飄々として雲中を飛行する、これを天仙といい、飛仙という」だが航空機の発明によって、現代人は誰もが神仙のように雲上を飛翔する機会をもつようになった。成都空港に降り立ち、小雨の中を、老子が生まれ変わった場所とされる青羊宮に向かった。青羊宮は由緒ある道教寺院だ。早く周代(紀元前十一世紀~紀元前二五六)に商品の売買を
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
-
8. 天師道発祥の地―鶴鳴山、青城山
前漢初年のことである。都長安の通りで遊んでいた五人の子どもの、黒い服をきた子がこんな童謡を口ずさんだ。「黒い裙(も)着て、天門に入る。金母に揖(ゆう)し、木公に拝す」この童謡はまもなく国じゅうに流れたが、その謎めいた歌詞の意味は誰も分からなかった。しかし、前漢王朝の建国元勲である張良(?~前一八六)は見当がついていた。「あの黒衣の子は東王公に仕える童子にちがいない。童謡は、修行して昇天したければ男
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
-
9. 「碧水丹岩」の仙境―竜虎山(上)
前回に張陵の話をしたが、蜀(四川地方)入りして天師道を創立する前に、彼は竜虎山で三十年間煉丹と修行をつづけた。のちにそのひ孫にあたる張盛が竜虎山に戻って先祖の創始した天師道を大いに発展させる。いらい、歴代の天師たちがここを修行と伝道の場としてきた。これによって天師道は道教のなかでも一つの氏姓によって継がれる唯一の宗門となり、竜虎山は道教発祥の地として広く知られるようになった。丹薬なりて竜虎現る竜虎
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
-
10. 由緒ある天師道の祖庭―竜虎山(下)
筏に乗って瀘渓河を下っていると、美しい山水に身も心も溶け込み、おのずと遠い昔に想像が走る。もし祖天師張陵に蜀に赴いて天師教を開くという信念がなかったら、どうしてこの山紫水明の地を離れることができたのだろう。蜀のけわしい山道を上り下るとき、彼はきっと竜虎山の絵のような山水を脳裏に浮かばせていたことだろう。そしてのちに鶴鳴山、青城山で送った日々に、幾度となくかつて三十年間を過ごした掛け替えのない楽土の
Author: 文·楊天乙 写真·郭実 Year 1997 Issue 10 PDF HTML